いつもと同じ路線バスを降り、スーパーで買い物をした。
一人分の買い物。すぐに終わるが、レジに向かう途中で桜餅があるのに気づいた。三個入り。それをかごに入れた。
買い物の短い時間で、日はすっかり落ちてしまい、街は暗くなった。
アパートまで五分の道のり、同じように帰宅途上の人の群れに混じって、塾帰りだろうか、中学生になるかならないかくらいの女の子がわたしのそばを駆けていく。
「ママ!」
そう言って戸建ての住宅の前で自転車を止めた女性のところへ。
笑顔になって迎える母親。
二人は一緒に家に入っていく。
そんな当たり前の光景を見るたびに胸が締め付けられる。
誰もいないアパートの部屋に帰宅。
出迎えてくれるのは、下駄箱の上に置いている写真立てだ。いつも出かけるときに玄関に置くようにしている。
その中で笑っているのは、わたしの夫であった人と離れている子供、そしてわたし。
その写真立てをワンルームの部屋の中にある小さなテーブルに戻す。
「ただいま」
そう言ってみるのも日課だ。
この日課があまり辛くなくなったのは、最近のこと。前は声をかけるたびに泣いていた。でも、声をかけずにおれなかった。
何か音がほしいという理由だけで、昨年、寿退社が決まった同僚から譲り受けた古いテレビをつけた。
ニュースをやっている。
――本日11時45分ごろ、宮城県の沖合でマグニチュード7.3の大きな地震が発生し、津波注意報が出され、大船渡市などで0.6メートルの津波が観測されましたが、地震による大きな被害はありませんでした。気象庁は今後も余震が心配されるとし、警戒を……
この頃、地震があちこちで多い。怖い。
買い物を冷蔵庫にしまう。冷蔵庫の中から小鍋を取り出す。
昨日作ったカレーはまだ二食分ほどある。今夜と明日の朝……いや、明日は残業確定なので、もう一度夜に回すことにしようと思う。
鍋をコンロの上に置き、スーパーのレシートを持って家計簿をつけた。今月は5万入れられそうだ。自分名義ではない通帳を開き、次の入金でとりあえずの目標である7桁になるのを確認する。
こんなこと自体、単なる自己満足かもしれない。
でも、こんなことでしか罪滅ぼしができない。
この二年半、いつか……ということだけを支えに生きてきた。
万に一つもないと、頭ではあきらめている。
でも、いつか、と思うしかなかった。そのために、何か形になるものを残しておきたかった。それが別れた夫名義の通帳だった。
カレーの前に、お茶を入れ、桜餅を食べた。
桜餅独特の甘さと塩味、それから懐かしさと苦しさが、ないまぜになり……胸の中に何かが立ち上がってきて泣いた。
――桜餅、好きなんですか。
若い夫の声と表情が浮かび、それから堰を切ったように、いろんなことを思い出し、よけいに泣いた。
夫――聡史とは、大学時代に出会った。
同じゼミで、春に仲間たちでそれぞれ好きなものを持ち寄って花見をしようという話になったとき、初めて親しく話をした。
お酒が飲める学友たちはビールなど持ち込んでいたが、わたしはお酒が好きではなかったし、彼も一滴も飲めない体質で、しかも和風の甘いものが好きだという共通項をこのときに発見した。
それもお汁粉とかぼた餅とか落雁とか。
わたしは桜餅も持ち寄っていたので、彼は目を輝かせた。
「桜餅、好きなんですか?」
「あ、はい。おいしいですし、ほら、きれいじゃないですか」
「俺も桜餅、大好物なんですよ。実家のすぐ近くに和菓子屋さんがあってね、そこのがすごくうまいんですよ」
「よかったら、どうぞ」
「やった。ありがとう」
わたしたちの頭上には、満開の桜が淡い光の帯のように広がっていた。
それからわたしたちは交際するようになった。
大学を卒業後、それぞれに就職したが、交際は続いていた。
二人が25歳になる年、結婚した。その二年後、子供を授かり、わたしは仕事を辞めた。
翌年、生まれたのが亜弥だった。
ちょうどその頃から、聡史に出張が多くなっていった。勤め先が急速にフランチャイズを拡大している外食チェーンで、彼は新店舗立ち上げに関わる部署で勤務していたため、一週間、あるいはひと月くらいの出張もざらだった。
この頃、少し距離ができた。
帰宅しても、聡史は疲れ切っていることが多く、夫婦の会話も減っていた。
そして、わたしは不倫をしてしまった。
何も言い訳はできない。当時の自分があまりにも未熟で、おかしかったとしかいいようがない。
当時、わたしは何も楽しみがないように感じていた。特にこれといった趣味もなく、秀でた職能があるわけでもなく、ただ子育てをし、夫は仕事ばかりで見向きもしてくれないと、勝手に思い込んでいた。
そんなとき大学時代の学友・明山と街で偶然に再会した。
明山は聡史と共通の友人だったが、本当はわたしに好意を寄せてくれていた男性だった。聡史との交際中に一度告白されたが、もちろん断っていたし、そのためか自然と疎遠になっていた。
明山はある自動車のディーラーで販売員として勤務していた。懐かしさもあり、しばらく話し込んで、連絡先を交換した。
しばしばメールが来るようになり、日常の不満や子育ての辛さや細かい苦労を彼に相談するようになっていた。彼もまた既婚であり、奥さんとの関係での悩みを打ち明けてきて、お互いに癒やしを求めるような関係に。
肉体関係になってしまったのも、そんなに時間がかからなかった。
「まだ若いんだし、僕たちにだって楽しみが必要だよ。絶対バレたりしないし、家庭さえ壊さなければ何も問題ないよ」
当時のことを思い出すと、そのたびにうめき声を上げたくなる。
愚かな自分を責め、失ったものを悔い、なによりも夫を深く傷つけてしまった罪悪感で押しつぶされそうになる。
でも、当時のわたしにはそんな危機感はなく、明山との交際に酔っていた。
「家庭さえ壊さなければ――」という呪文を繰り返し心で唱え、壊れるはずもないと考えていた。
自分が他で心が満たされる分だけ、気持ちのない夫にも優しくなれた。
聡史はその頃からどこかよそよそしくなり、さらに会話も減っていった。疲れているといって、わたしとのセックスも拒むようになっていた。
その反動で、わたしの心はよけいに明山に向かってしまった。
明山とは心に深い絆が生じ、何でもわかり合える相手だと錯覚した。夫の留守中に子供を実家に預け、幾度も逢瀬を重ねるうち、「家庭を壊さない楽しめる関係」から、妄想が膨らんでいった。
いつかお互いに離婚して、新しい家族になろう。
何があっても僕が君を守る。
わたしもあなたと暮らす日が一日でも早く来るのを願っているし、毎日の支え……。
夢物語を言葉やメールで語り合っていた。
わたしは明山との交際期間の半年、夫の変貌にほとんど気づかなかった。
夫はその半年の間に、すごく痩せていた。体重にして、10㎏近く落ちていた。どこかで意識することがあっても、仕事が忙しいのだなということを、まるで他人事のように思っていた。
でも、夫はすべて知っていたのだ。
それも、ごく初期の段階から気づいていた。
ある平日の昼間、わたしは明山を夫や子供と暮らす賃貸マンションに招き入れた。それが初めてではなかった。子供はうまいこといって、やはり親元に預けていた。明山とはディーラーの休日、水曜日の昼間に会うことが多かったのだ。
毎回、明山がマンションにいた痕跡は完全に消していた。ベッドのシーツも取り替えていたし、部屋も隅々まで掃除していたし、性交渉に関するものはすべて自宅内から持ち出し処分した。その足で、娘を迎え帰宅すると――
夫がすでにリビングにいた。ギクッとした。いつもは深夜帰宅が当たり前なのに――。
「お帰り――」
屈託のない笑顔。2歳になったばかりの亜弥が「パパ」といって駆け寄っていき、彼が抱き上げる。平静を装って尋ねる。
「どうしたの。早いね、今日は――」
「うん、だって、今日は結婚記念日だろ。定時で上がってきた」
ショックを受けた。結婚記念日だということを、わたしはすっかり忘れていた。ずっと夫婦で祝ってきたし、子供が生まれてからも、その日は特別な日として、わたしはごちそうを用意したりしていた……
「桜餅、買ってきたんだ。ほら、いつかいってただろ。駅前にできた新しいお店。あそこの」
「あ、ありがとう。ごめんなさい。わたし、うっかりしてて」
「いいよ。おまえだって、子育てで大変なんだから」
「ごめんなさい」
「じつはさ、寿司を取ってあるんだ。さっき頼んだから、もうすぐ届くと思うよ。それでお祝いしようよ」
「ごめんなさい……」
わたしは本当の意味で謝っていなかった。結婚記念日を忘れていた失態をどう取り繕うか、ごまかすか、そのための言葉だった。
今日何をしていたかと問われたとき、なんと答えようとか、そういうときの言い訳は日頃から用意していた。でも、この日ばかりは言い訳を用意していながらうまくごまかせそうにないと感じた。
けれど、夫は何も問わなかった。
寿司が届き、夫は珍しくよく食べた。もうずっと夕飯は済ませてくることが多く、わたしの作ったものは口に入れてもすぐに箸を置いていた。
この夜は、上機嫌で、これも滅多にないことなのだが、いつかの頂き物で冷蔵庫に収納されっぱなしだったビールを飲んだ。社会人になった後も、体質的にほとんどアルコールを飲むことはなかったのに。
その夜、夫はわたしを求めてきた。
夫はずっとセックスレスだった。明山に気持ちが行っていたわたし自身、それを好都合と感じていた。夫に抱かせたくないと、時々、明山が心配していたからだ。
しかし、この日は拒めなかった。
交際期間を通じて、きっと初めてだというほど、夫はわたしを強く求めた。幾度も。
わたしはうれしかった。
自分が忘れていた結婚記念日を大切にしてくれたこと。
このところずっとなかったような笑顔を見せてくれたこと。
こんなふうに自分を欲してくれるのなら……とさえ思った。その後ろ側で、同じ日の昼間、明山に抱かされていた罪の意識が胸を締め付けた。
明山とは別れた方がいいのかもしれないと刹那、思った。
翌朝、目が覚めると、ベッドに夫はいなかった。
トイレに起きたのかと思い、リビングに出て行った。「あなた」と呼びかけたが、気配はなく、テーブルには昨夜の桜餅と、その横に一枚の便せんと緑の用紙が並んで置かれていた。
――すべて知っています。
頭が真っ白になった。
わたしはたぶん、かなり長い間、その一枚の便せんの文字を見つめ、その場に凝固していた。そして、隣の離婚届に記入されている夫の署名と捺印を交互に見つめていた。
「すべて知っています」という言葉の意味が、ちゃんと頭に入ってくるまでに、とても長い時間を要したように感じた。
理解することを、たぶん拒否していたのだと思う。
親権欄にも、夫の名がすでに書き込まれていた。
ーー娘。
あるとき、頭の中でつながり、わたしは寝室に駆け戻った。「亜弥! 亜弥!」と叫びながら、ベビーベッド(まだ体が小さいので、そのまま使っていた)を確認した。
寝室の隅々まで確認し、次にはマンションの隅々を確認し、玄関のドアを開け、通路を確認した。
そこからは我が家が契約している駐車場スペースも確認できた。そこにうちの車はなかった。
このとき、わたしはわなわなと震えた。
正常な思考はほとんど蒸発していた。
夫に電話をかけた。出ない。幾度もかけた。出ない。
次にしたのは、震える指で明山にメールを送ったことだった。今の状況の説明、夫が何かいってきていないかということ。
しかし、早朝だったためか、明山はなかなか返信をよこさなかった。
明山からの返信を待ちきれず、次に夫にメールを送った。
どうしたの。どこにいるの。何をいっているのかわからない。誤解です。話をしたい。娘をどうしたの。お願いです。連絡をください。
そんな内容のものを何十回と送った。
その間に明山からのメール返信があった。
なにもない。どうしたの、いったい。まさかバレたの?
そんな内容だった。明山に電話した。
「ばか。こんな時間に電話かけてくんなよ。気づかれんだろ」
「だって……」
「ちょっと待て」
移動し、洗面所に入ったのか、トイレを流す音。
「マジでバレたのか」
「わからない。でも、すべて知ってるって。離婚届が置いてあって、聡史はもう記入してあるの」
「とにかくしらを切り通せよ」
「でも、もし本当に全部知られていたら」
「僕はうまくやってたんだよ。そっちのことはそっちの責任で処理してよ」
耳を疑った。
「なによ、それ……。なにかあったら守るっていったじゃない」
「今はちょっといろいろまずいんだよ。嫁さんの実家のこともあって……」
後の言葉は、ほとんど耳に入ってこなかった。言い訳ばかりだったことは、なんとなく印象に残っていた。
何かあっても個別の夫婦間のこと。
配偶者にバレたのなら、それは本人の責任。
だから、何かあったのならそちらで処理しろ。
言葉は柔らかくだったが、いいたいことはそれに尽きていると感じた。
電話を切られ、わたしは誰もいなくなったリビングで膝をついた。
異常に呼吸が荒く、気分が悪かった。自分が真っ青なのがわかる。血圧が異常に下がっているような感じだった。
床に頭を打ち付け、意識を失ってしまった。
しばらくして、手に握りしめたままの携帯電話のバイブレーションで目が覚めた。
意識が回復したとき、「ああ、夢だったんだ! よかったよかった!」と心底喜んだ。しかし、自分が倒れていた場所がリビングの床だったと気づき、これは紛れもなく「続き」なのだと知った。
そのときの真っ暗な絶望感――
今一度、意識が遠のきかけた。しかし、手の中で震える携帯電話のディスプレイにメールの表示があり、夫からのそれだと知り、慌てて開いた。
「本日中に弁護士から内容証明郵便が届きます。以後は弁護士を通してください」
そこから後のことは、もう思い出したくもない出来事の連続だった(思い出したくもないといっても、絶対に忘れることなどなどできない。むしろ終生忘れることなどできない)。
わたしの実家から、内容証明を受け取った両親がその日のうちにやってきた。そして、力尽くでわたしを実家に連れ戻した。父に殴られた。29年(当時)の人生で、父に手を上げられたことなど、一度もなかった。
父は涙を流して殴っていた。母も横で止めながら泣き叫んでいた。わたしを責めるよりも、わたしへの教育が十分にできなかったことの懺悔をしていたのが、父の手よりも痛かった。
それから数日、わたしは抜け殻のように実家で過ごした。その間、幾度も夫にメールを送った。電話もした。しかし、何の反応もなかった。
明山からはパニックのようなメールが大量に来ていた。彼の自宅にも内容証明が届いていて、奥さんにも知られるところとなっていた。気づかれたわたしのことをなじっていたかと思うと、一転して優しくなったり、口裏合わせしてなんとかごまかす算段を提案してきていた。
両親に問い詰められ、すべてを告白してしまったわたしには無意味だった。
こんな男にのぼせあがっていたんだ……
自分に失望した。これほど深く失望したことはなかった。
三日目のあるとき、わたしは実家を抜け出した。
そして、住んでいたマンションに戻った。
そこに夫も娘もいなかった。
多くの家財がすでに運び出されていた。あるのは、わたしの私物だけだった。
そして――
寝室のダブルベッドが切り裂かれていた。
シーツもマットも掛け布団も。
部屋には羽毛布団の羽根が散乱していた。
わたしは夫の怒りの強さを知った。そして瞬間的に悟った。
恐ろしいことを――。
あの結婚記念日――夫は、わたしが明山とマンションで会ったことも知っていた。このベッドで何が行われていたか知っていたのだ――。
切り刻まれたベッドの残骸はそれを物語っていた。
そう悟ってやっと、愚かにもわたしは「もしかしたら」と考えることができた。
もっと前から夫は知っていたのではないか。
だから、わたしの作ったものなど食べることができなくなり、日常的なストレスから痩せてしまったのではないか。
眠るときもベッドはあまり使わず、リビングのソファで仮眠をすることが多くなっていた。ベッドはいやだったのではないか。
もしかしたら、わたしが拒絶されていると思ったセックスも……わたしの不倫が先で、それを知ってしまったから……
妻が浮気相手を招き入れ、行為をしているとわかっている部屋に毎夜戻ってきて過ごしていた夫の気持ちを想像し、ぞっとした。
怖くて震えた。自分のしでかしたことのあまりの残酷さに。
自分が怖かった。
謝りたかった。ちゃんと夫に謝りたかった。
ごめんなさいと叫びながら号泣した。そこで、何時間も泣いていた。
弁護士に指定された面談会場で、ようやく夫に再会することができた。
すぐに土下座した。一緒に来た両親も。
決壊したように涙があふれ、みるみる床に水たまりを作った。
わたしは自分が何をしゃべっているのかも、よくわからないほどだった。懺悔の言葉と許しを請う言葉を、えんえんと繰り返し吐いた。叫ぶように。
どうか捨てないでほしい。なんでもする。一生かけて償います。
しかし、夫は「お義父さん、お義母さんが謝る必要はないです。頭を上げてください。ちゃんと話をしましょう」といった。
何日かぶりで聞く夫の声は、驚くほど冷静だった。いや、冷静というよりも、まるで心ここにあらずというような。
夫は落ちくぼんだ目に、なんともいえない影を映していた。痩せていた。ガリガリだ。ぼーっとしているように見えた。その姿は、あの切り刻まれたベッドとはどうしても結びつかなかった。怒り狂った罵倒を浴びる覚悟で来たのだ。
弁護士が冷静な言葉で、その後を進行させた。事情聴取され、事実の確認が行われた。嗚咽でうまくしゃべれなかったが、正直に何もかも語った。
「ここ数ヶ月の不貞の証拠があります。こちらでわかっていることとの矛盾はないようですね」
やはりそうだったのだ――
いくつかの書類にサインを求められ、同時に離婚が提示された。わたしへ慰謝料請求をしない。共有財産の分与はあり。わたしが将来にわたって負担すべき娘への養育費なし。ただし、子供の親権は夫――。
「お願いです。離婚だけは許してください。いやです。亜弥とも離れたくない……」
弁護士は有責配偶者であるわたしが拒絶しても、裁判になれば離婚は確定するといった。
父がそこで再び土下座した。
「聡史君、すまん! 本当に申し訳ない! 私たちの教育が悪かったと思う。慰謝料も養育費もなしという話だったが、頼む! ちゃんと慰謝料を払わせてくれ。できるかぎりのことをさせてもらう。だから――だから、もう一度だけ、娘にチャンスを与えてくれないか」
「お願いします!」
わたしも土下座した。母も床に手をつき、泣きながら懇願してくれた。
「やめてください。顔を上げてください」
物憂げに夫はいった。弁護士にもいわれ、わたしたちももう一度席に戻った。
「離婚させてください。お願いします」
逆に夫から請われた。
「もう無理です」
うつろな目をしていた。
そして語った。
わたしの浮気に気づいたきっかけは、共通の知人からの目撃情報だったらしい。ホテルから出てきたのがわたしに見えたと(これが、不倫のごく初期の頃だった)。
信じられなかったが、わたしのことを信じたくて、悪いと思いながら少しずつ調べた。自分に対しては着用することもない、わたしの下着に派手なものが増えたこと。外出が増えたこと。いつも携帯電話のメールばかりしていること。その携帯を以前はリビングに放置していたのに、風呂場や洗面所にまで持って行くこと(携帯はロックしていたので見られていなかったし、わたしは明山とのメールや通話記録はすぐに削除していた)。
出張がちだったため、決定的な証拠をなかなか見つけられなかった。結果、半年もかかってしまった。
3ヶ月前、とうとう夫は出張と偽り、わたしの行動を確認したのだと打ち明けた。知らず、わたしは明山と会っていた。わたしの不貞にもひどいショックを受けたが、相手が大学時代の友人だったことで、さらに深く傷ついた。
その後は興信所に依頼し、弁護士にも相談した。お金はやがて戸建てを購入するときのために二人で貯めていた資金を使った。
出張で家を空けるたび、気が狂いそうになった。
わたしの手で作る食事が汚らわしく思え、いつも吐いていた。
3回程度、はっきりとした不貞の証拠があったほうがいいといわれ、待ち続けた。その間に、自分の中にあった愛情がカラカラに乾いてしまった。家に帰ると、何事もなかったように振る舞うわたしがいて、それを見続けているうち、あるとき、自分の愛した女性はもうこの世にはいないと思った。すると嫉妬とか怒りとかも、もうあまり感じなくなってしまい、だから、あの家に戻っても、なんとか平然と振る舞えた。
――もうこの世にはいない。
その言葉に打ちのめされるとともに、自分がいかに夫を長く、深く傷つけ続けていたか知った。罪悪感と自己嫌悪で胸が押しつぶされそうだった。
娘だけが唯一の救いで癒やしだったと、彼はいった。
「お願いだから、娘を取らないでほしい。こちらに渡してほしい。娘だけが今の自分の生きがいなんだ」
彼の言葉を聞きながら、わたしは泣き続けた。
「わたしも……娘と別れたくない。あなたとも……」
「君は亜弥が風邪で調子が悪かったときも、実家に子供を預けて明山と会っていたよね」
特に責める口調ではなかったが、すごく痛い事実を突きつけられた。本当にどうかしている。なにをやっていたんだろう……
「こないだ、最後に君と過ごしたけれど……。あれが自分の中の最後。あれは愛情なんかじゃなかった。むしろ怒りで抱いた。申し訳なく思う。仮面の笑顔で、あんなことができてしまう自分になってしまった。本当は嫌悪感でいっぱいで、後で吐いた。もう夫婦ではいられない。無理だと思う」
わたしは号泣した。
壊してしまった。この人を。
わたしが好きだったあの笑顔、声。
それは二度と戻らないと思い知らされた。
わたしは離婚を受け入れた。
当然のことながら、聡史は明山にも制裁を行った。慰謝料の請求。会社の勤務中の行為もあったため、管理責任が勤め先にも問われ問題になり、退職。やはり離婚。
その後幾度か連絡があったが、わたしは拒絶した。馬鹿な幻想はとっくに覚めていた。
月に一度、亜弥に面会することは許された。
亜弥は聡史の実家で、親御さんのサポートを受けながら育っていた。
今、5歳。
亜弥に面会させてもらえるときの聡史は、いつも穏やかでいてくれた。
過去のことを何も蒸し返すこともない。けれど、時折、すごく苦しそうな表情をすることがあった。
あの病的に痩せた状態からは回復していたが、一番体重があったときよりもかなりスリムだった。
独り身のままだった。
いつか、もし、許してもらえることがあれば――
どうしてもそれを考えてしまう。復縁など、そんなことを考えること自体、厚かましいと思う。
あの苦しそうな表情は、わたしがそばにいれば、あのときのことを思い出してしまうからだとわかる。
だから、彼のためには会うのもやめた方がいい。
でも、やはり会いたい。彼にも娘にも。
離れられない――わたしは自分勝手だ。
このままの状態でいい。
聡史と亜弥の幸福を願って、少し離れたところで見守っているだけでいい。それが許されるだけで感謝だ。
桜餅を三つも食べてしまった。
その間に、また盛大に泣いた。
こうなって初めてわかる。愚かだけど。
聡史と出会って、恋をし、
ともに過ごし、結婚して。
共働きして。
喧嘩して、仲直りして。
子供が生まれ。
百日(ももか)の祝いを両家でして。
ハイハイやタッチでともに喜び。
ああいう思い出のすべてが家族であるということなんだ。
当たり前に朝起きて、「おはよう」といい、帰ると「おかえりなさい」といえる。
あの思い出たちの、そのままの先に行きたかった。
でも、それはもうかなわない。
わたしが壊してしまった。
面会は毎月第二日曜。
わたしは壁につるしてある2011年のカレンダーの前に立った。
今日の日付、3月9日に×をつけた。
面会の日は、3月13日――。
4日後だった。
――――「桜餅 後編に続く」
2018年5月11日金曜日
桜餅 後編
面会日の二日前。
あの日がやってきた。
3.11――
派遣で勤務していた会社のオフィスもパニックになった。余震の続く中、背筋が凍るような情報が次第に入ってきて、帰宅命令が出された。個別の会社の事情などよりも、この国が根底的に覆るような大きな危機感が直感的にあった。
地震発生直後から、わたしは幾度も聡史の携帯電話にかけていたが、まったくつながらなかった。メールを送っていたが、それも届いているのかどうかもわからなかった。
聡史と娘のことが心配でならなかった。
交通網が麻痺した中、誰もがそうであったようにわたしはアパートへ歩いて帰った。踵のあたりがすりむけ、痛みに耐えながら歩き続けた。
聡史の実家は、アパートからさらにその先にある。だから一度アパートに帰ってから、そのまま向かうつもりだった。
時折襲ってくる余震が怖かった。それ以上に聡史と娘のことが案じられてならなかった。歩きながら幾度もメールをしていた。
今、アパートに戻っている途中です。心配です。ごめんなさい。後からそちらへ伺ってもいいですか。
しかし、アパートに戻れたのは深夜だった。
いつも出かけるときに玄関に置く写真立てが下に落ちていた。ガラスが割れていた。胸騒ぎがする。
そのとき、携帯電話が鳴った。メールの返事がようやく来た!
無事です。亜弥も大丈夫。来てください。
ほっとした。それにうれしかった。「来てください」という表現に――。
わたしは動きやすい服に着替え、ぼろぼろの古いスニーカーに履き替えた。そして、再び歩き出した。
離婚後、わたしは自分の実家を出た。あれだけのことをしでかして、両親に甘えて過ごすなど、とてもできなかったし、聡史の実家の比較的近くで生活をしたかった。あまり近くではきっと嫌がられる。そう思い、駅二つ離れたところにアパートを借りたのだ。
深夜の道は、あり得ないほど人であふれていた。
徒歩で帰宅する人々に混じって、聡史の実家にたどり着いたのは、午前3時頃だった。が、家を前にしてわたしは体がこわばってしまった。
子供との面会の時は、たいていどこか外で待ち合わせる。自分の不貞発覚以来、この実家を訪ねるのは初めてだった。
どの面を下げて会えるというのだろう。離婚が決定的になって、両家の話し合いが行われ、そのときにご両親に会ったきりだ。聡史のお母様の鋭い侮蔑に満ちた言葉や眼差しが、今でも心に焼き付いている。
胸がドキドキした。
無事が確認できたのだから、ここまで来る必要はなかったのではないか。訪ねていったら、不愉快に思われるのではないか。いや、そうに決まっている。来るべきではなかったのではないか。
迷っていると、ふいに玄関の扉が開いた。
聡史だった。彼はわたしを見つけると、ほっとした表情を浮かべた。
「ああ、着いたんだね。中へ入って」
心配で何度か外の様子をうかがっていた、ということだった。
「い、いいかな」
「もちろんだよ。さあ」
非常時でなければ、敷居をまたぐことはなかっただろう。
リビングにご両親がいた。慄然とせざるを得ない光景を幾度も映し続けるテレビの画面を見入っていたが、わたしが入っていくと気づいた。
ああ、とお母様はわたしの名を呼び、立ち上がった。
「来れたの! よかった。大丈夫だった?」
手を差し伸べられ、腰から砕けそうなほど安堵した。
「はい。ありがとうございます。あの、こんなときなんですが、来てしまってごめんなさい」
「歩いてきたのかね。いやまあ、そうだろうな。疲れたろう」
と、お父様も気遣ってくださった。
「亜弥は……?」
「今は寝てる」と、聡史。「ただ余震を怖がって、何度も起きてきた。僕らも眠れなくてね」
「様子を見に行って、いい?」
「ああ、こっちだ」
案内された部屋で亜弥は眠っていた。寝顔なんて見るの、いつ以来だろう。閉じたまぶたや鼻筋にかけて、ますます聡史に似てきた。
つい、そっと髪に触れた。
ずしっという響きとともに、また余震がやってきた。かなり大きい。
ぱちっと亜弥が目を開けた。おびえた表情の後、すぐにわたしに気づいた。
「ママ?」
「うん、ママだよ」
ママだ、ママだ、といって亜弥は両手を伸ばしてきた。わたしは思わず娘を抱きしめた。涙があふれた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」
娘にささやいた。
「ママ、ここにいて」
「うん。いるよ」
しばらくそばにいた。娘は寝息を立て始めた。
ずっと聡史は、同じ部屋の中で見守ってくれていた。
眠りに落ちたことを確認して、わたしは立ち上がり、聡史に頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたや亜弥の顔を見て、安心しました。帰りますね」
「今日はもう泊まっていったら」
「え?」
「まあ、泊まるっていっても、もう未明だけど。今日は土曜日だし、電車とか交通機関がもうちょっと正常になるまでいたら?」
「でも、ご両親に申し訳なくて……」
「心配ないよ。――ああ、少し話、できないかな」
わたしは戸惑いながら、「はい」と答えた。
聡史の書斎に案内された。そのとき、足を引きずっているのを見られてしまった。
「どうしたの?」
「あ、歩きすぎて、ちょっと……」
「血が出てない? ああ、そこで待っていて」
大学の交際時代に幾度か訪れたことがあった。聡史の書斎には、すごくたくさんの蔵書がある。わたしには理解できなさそうな科学や宇宙の本がたくさんあるし、小説も書棚をびっしりと埋めている。
落ち着く感じがした。
聡史はすぐに消毒液と大ぶりなガーゼ付き絆創膏を持ってきてくれた。
「出して」
「あの、自分でします。ありがとう」
そんなことまで、とてもしてもらえなかった。
消毒液を返して、もう一度礼をいった。
そういう人だった――とあらめて思った。当たり前にわたしの些細な変化や表情に気づいて、「だいじょうぶ?」とか「どうしたの?」とかいってくれる人だった。
わたしが浮気に走った頃も、それがなくなったわけではなかった。ただ、恋人時代や新婚時代のようにわたしが新鮮に感じなくなっていただけ、彼の仕事のために頻度が少なくなっていたというだけ。
「あの、話って……」と、切り出した。
聡史は悩ましい表情をしていた。いい出しにくいことを抱えているように見え、不安になった。もう面会させてもらえないとか、そんな話か――
あるいは、聡史が誰かと再婚するとか。
それは大いにあり得ることで、いつも不安に思っている。そうなったときには、わたしももうこんなふうには関われないのではないかとも。
「こんなタイミングでなんなんだけど、復縁してもらえないかな」
え――?
「もし君がいやでなければ――それと、たとえば君に誰かお付き合いしている人とかいなければ」
あまりにも唐突すぎて、頭で言葉がちゃんと理解できなかった。嘘ではない。本当に狼狽してしまってわからなかったのだ。
「え? え? ごめんなさい。もう一度いって――」
「だから、よかったら、もう一度結婚してほしい」
「…………」
「だめかな」
ようやく意味が体に入ってきた。その言葉は、この二年半、わたしが心底望んでいたものだった。誰もが思うだろう。そんな言葉をかけてもらって、その瞬間にわたしが小躍りしなかったのはおかしいと。
でも、なぜかそうはならなかった。
「ど、どうして……?」
「ちょっと前から考えていて、じつは明後日、話そうと思っていたんだ。ほら、1月にポリープの手術したっていったよね。そのときに、いろいろ思ったんだ。ああ、それに……こんなことが起きて、今の亜弥の様子を見て、よけいにね」
涙が勝手に、どんどん頬を伝って落ちるのがわかった。だけど、わたしは馬鹿みたいにずっと聡史の顔を、目を、見つめていた。やがてそれは潤んで見えなくなってしまい、手でこすって、それでもなお、わたしは見つめ続けていた。これは夢? 本当のことなの?
「あの頃、僕もいけなかった。僕は頭でいろいろ考えて、先々のことまで計画するのが好きなのは知ってるだろ」
うん、と機械的にうなずいた。涙がバラバラとこぼれた。
「何歳までにどうなって、いつ頃には家を建ててとか。そんな自分の考えにがんじがらめになっていた。それって、うちの親から受け継がれてるんだよ。そういう教育方針だったから。まあ、親のせいになんかできないけど、そんな性格だから、君の気持ちに応えられなかった。ちゃんとやってればわかってくれると思い込んでいた」
「違う……それは違う……」
「1月から時間も作れる部署に変わって、そうしたら娘もすごく喜んでくれた」
彼は苦笑した。
「そういうことなんだって、わかった。だから、前のようなことはないと思う。やりなおしてもらえないかな」
「どうして……?」
聡史は怪訝そうに見つめ返した。
「どうして、そんなふうにいつもいうの!」
わたしはつい、大きな声を出してしまった。
「わたしを叱ってよ! 罵ってよ! わ、わた…わたし、一度も怒られてない!……あのときだって『離婚させてください。お願いします』だなんて――」
呼吸がうまくできなくなっていた。息継ぎすら苦しく、次の言葉が出てこないほどだった。
「あ……わ、……わたしがあのとき、どれだけ怒ってほしかったか……。わたし、罰がほしかった。徹底的に痛めつけてほしかった。そ…れなのに、慰謝料もいらないとか…ありえないよ! 亜弥にだって会わせてもらって、だから、亜弥は今でもちゃんとわたしのこと、『ママ』って呼んでくれて……。それは感謝してる。だけど、聡史がいけない!……ああ、ああ、違う! ごめん。違う違う! いけないのは、わたしなの。わたしが全部悪いのに。だけど…だけど…わたし、ああ…わたし、なにいいたいんだろ……」
聡史は黙って待ってくれていた。ようやく、言葉を見いだした。
「叱ってもらえないと、わたし、聡史のお嫁さんに……ヒック……もう一回なんて、なれないよぉお!」
パシーン、と目が覚めるような一撃があった。
一瞬、何が起きたのかもわからず、わたしは部屋の片隅を見つめていた。視野に聡史はおらず、自分の首がねじ曲がるほど、違った方向を見ているのに気づいた。
「これでいいか」
振り向くと、聡史が手を引っ込めるところだった。もう一度、彼はいった。
「これでいい?」
「はい……」
わたしは呆然と、叩かれた左頬を触った。
「じゃ、復縁してくれる?」
「はい」
わたしは起きた現実を、まったく受け止め切れていなかった。
「あの……。これ……」
わたしは持ってきた聡史名義の通帳を差し出した。もし何かこの地震でトラブルなどあれば、使ってもらおうと思って持ってきていた。昨日入金し、ようやく7桁に届いたばかりだ。
「まだ、ぜんぜん少なくて、恥ずかしいんだけど。せめてもの償いだと思って、受け取ってください」
聡史は通帳を開き、少し驚いたようだった。
「わかった。ありがとう。受け取ります」
そういって微笑んだ。その顔を見て、わたしはボロボロ泣き出した。
「本当にいいの? 本当に復縁してもらえるの……」
「本当だよ」
「ありがとう……。ありがとうございます。今度こそ、一生かけてあなたを愛します。償いをさせてください」
聡史に抱きつきたかった。すがりついて、おんおん泣きたかった。でも、我慢した。そんなこと、まだできる資格はない。
彼はそれから、これからのことを話した。
もうすでにご両親には、復縁の可能性を伝えていて、わたしさえOKならと納得してくれている(道理で当たりが柔らかだった)。
この二年半、わたしが独りで頑張っていること、その中で聡史や亜弥のことだけ考えていること、口先だけでない反省をし、きっとこのままだと他の誰とも再婚せずに生きていこうとするだろうとか、そんなことを聡史は伝えていたらしい。
見ていてくれた……。うれしかった。
なによりも亜弥にとっても、やはり母親がいた方がいい、そのことは一番だと思ったと。
ご両親も、だんだんとわたしを不憫に思い、同情的な態度を示してくれていたそうだ。復縁してやったら、ということも、じつはお母様が最初にいい出したそうだ。
聞かされると、何か胸が締め付けられた。わたしなんかのことを、そんなふうに思ってくれていたなんて。
ありがたかった。ありがたすぎて、申し訳なかった。
ただ自分も迷いがある、と聡史はいった。
前回のことはどうしても癒えないトラウマのようになって残っていて、今でも苦しくなることがある。離れていると大丈夫だったが、一緒に暮らすようになったら、時には怒鳴ったりイライラしたりして、感情的になってしまいそうに思うと。
当たり前だと思う。それだけのことをわたしはしたのだ。
そういうことがあっても我慢できる?と問われ、もちろんだと答えた。
そういった感情的な不安感を軽減するために協力してほしいといわれた。
「なんでもする。させて!」
仕事や外に持って行くこともあるので、携帯電話はロックしても良いが、互いのロックナンバーを教え合う。許可なくそれを変更せず、いつ相手が見ても良いことにする。少なくとも自分は見てもらっても困ることは一つもないと聡史はいった。もちろん同意した。
PCなどで使うメールも同様。
仕事で遅くなるとき、何か別な用事で外出するときは、ちゃんと報告すること。もちろん、ちゃんとする。
「一度失われてしまった信頼関係は、なかなか取り戻せない」と聡史はいった。痛い言葉だったが、それは当然だった。
ゼロからではないと、わたしはこのとき感じた。わたしたちの場合、マイナスから回復しないといけないのだということが、このときの話でよくわかった。
わたしは自分からも提案した。
「もしこの後、また信頼を裏切るようなことがあれば、即離婚でいい。わたしの署名と捺印をした離婚届を用意しておきますから、それをあなたが持っていてください。でも、そんなことはもう絶対にしないと誓います。そんなことをしたら、わたし、自分で命を絶ちます」
聡史はそのとき、何かすごく辛そうな表情をした。
「命を絶つなんていうな」
そうして、わたしと聡史の再構築が始まった。
まずは少しずつならしていこうということで、最初は週末だけ実家にお泊まりするようにした(これは実質的に震災直後の土日からになった)。
ご両親は寛大にもわたしを温かく迎えてくれ、結婚したての頃と同じように接してくれた。
亜弥と過ごせる時間。
家族で囲む食卓。
わたしが取り戻したくて夢にまで見た光景だ。幾度も幾度も、その当たり前の団らんの中でうれしさのあまり泣きそうになった。
だが、やはり聡史との関係は、すぐにすべては回復しなかった。
以前のような、かつての友人関係から恋人になり結婚したときの、屈託のない関係ではなくなっていた。
彼はやはり、時折すごく苦しそうだった。それは月一で会っていたとき以上に見えた。そんな彼に、わたしもどう接したらいいのかわからない。明るく振る舞っていた方がいいのか、気持ちに寄り添うようにした方がいいのか、あやまったほうがいいのか。結局、どれもできず……。
ごめんなさいと、いつも心で詫びた。
けれど、聡史は最初に自分で不安だといったような、感情の乱れはほとんど見せなかった。怒ることもないし、ほとんど苛つくこともない。
あの何もなかった時代の態度とは違っていたが、すごく普通に振る舞ってくれた。気遣いもしてくれ、当たりも柔らかだった。笑顔も見せてくれる。冗談さえいう。そんなこと、普通できるだろうか……。
そう、この再構築の時期になって、わたしは初めて考えた。
もし、自分が逆の立場で、聡史が浮気をし、わたしが許さねばならない側になったのなら、こんなふうにできただろうか、と。
絶対無理、だった。
あまりにも身勝手な考えだけれど。
わたしは聡史を信頼していた。絶対に裏切らない人だと思っていたので、もしそんなことになったら、怒りや憎しみも容易には消えなかっただろう。再構築になっても自分のコントロールなど、とてもできた自信がない。
きっと些細なことで当たり散らしたに違いない。あれが気に入らないこれが気に入らない、わたしが気持ちが荒れるのもあなたのせいだ、と。
それなのに、彼は――。
すごいと、心底感じた。
わたしは彼のことを、あらためて本当の意味で尊敬できた。自分で原因を作っておきながら、こんないい方は失礼そのものかもしれないけれど、わたしは昔以上に、毅然と律し続ける彼に恋した。前とは違う深い愛情を感じた。
たぶん大丈夫だと思うというので、ひと月もたたないうちに完全な同居に移行し、婚姻届を提出した。
伝えると、わたしの両親は手放しで喜び、すぐに聡史の実家に押しかけてきた。父も母も泣きながら彼に礼をいった。久しぶりに両家の家族での祝いをした。
婚姻届を出すタイミングで、わたしは訊いた。
「仕事、辞めたほうがいい?」
わたしが外に出ない方が、きっと聡史も安心するのではないかと考えたからだ。しかし、意外にも「いや、仕事は絶対に続けてほしい」と。
それどころか、「派遣でなく、正社員になって。そこは応援するから」とまで。
戸惑いながらも、わたしは「なら、頑張る」と応えた。
一番大きな問題は、夫婦生活だった。
完全な同居に移行した夜、わたしはあらためて彼の前で手をつき、復縁してもらったこと、受け入れてくれたことの、心からの感謝を伝えた。
彼は抱きしめてくれた。
体が震えるほどうれしかった。
けれど、できなかった。
ごめんといわれ、わたしのほうがごめんだよと泣いた。
わたしと聡史は、どちらもが奥手で、お互いが初めての相手だった。
だからこそよけいに、彼は別の誰かに汚されたわたしへの心理的抵抗が強かったのかもしれない。
それは幾度か続いた。
思い通りにならない機能に、聡史はすごく悩み、苦しんでいた。「くそっ」と、このときだけは苛立った。それは、わたしへではなく、自分に苛立っているようだった。
嫌悪感があるのなら、無理してくれなくてもいい。わたしはあなたと亜弥のそばにいられるだけで幸せです。それ以上の何も望まない。今のままで十分すぎるほど幸せです。
そういった。
そして、本当の思いを語った。
「こんなこというの、少し恥ずかしいんだけど……今ね、もう一度あなたに恋をしてる。学生時代よりもずっと強く恋してる。こんなこと、誰だってそんなにできない。それだけで、本当に幸せなの。わたし、このままずっと片思いでいいの。命を終えるまで、あなたに恋し続けるから」
苦しむ彼の背を抱いた。
彼はガバッと振り返り、わたしを抱きしめた。
もう一度、愛撫してくれた。
そして、その夜、ついに結ばれた。
おかしな話だけれど、痛かった。まるで初めての時みたいに、すごく痛かった。そういうこともあるのだと後で知ったが、出血もした。
痛みの中で、彼とつながったとき、わたしはその痛みと喜びの中でわんわん泣いた。泣きながら彼の体に思いっきりしがみついていた。
ようやく、元に戻った――いや、そうじゃない。
彼と新しい夫婦関係を築くことができた。
そうして――
ああ。
なんでだろう。
お願いです。誰か教えてください。
そうして、聡史はこの世を去った。
信じられない。
現実が受け入れられない。
8月、彼は一度入院した。彼の中学時代の友人が勤める大学病院で手術を受けた。
「大腸のポリープが大きくなっているので手術で切除します。なに、簡単なものですから、心配はいりませんよ」
その友人医師の説明に安心していたが、思いのほか手術は長かった。術後、聡史はなかなか食が戻らず、辛そうだった。
しかし、ひと月もすると以前とあまり変わらずに仕事をし、行動できるようになっていた。
彼と亜弥と、手をつないで歩く。
買い物に行く。
幼稚園の行事。
五人での日常の食事と団らん。
一つ一つの当たり前の日常に幸せを感じていた。
けれど、11月頃、再び聡史は体調を崩し、入院した。
そのときにわたしは、夫が癌であることを知らされた。8月の手術も本当は癌で、友人医師は夫から口止めされていたとのことだった。
「どうしていってくれなかったの」
病室でわたしは泣きながら訴えた。
「帰ってきてすぐ、癌になった夫の看病じゃ、かわいそうだから」
「ばか! いってよ。いくらだって看病するよ! させてよ」
「うん。これからはお願い」
抗がん剤や放射線などによる苦しい治療が始まった。
わたしは勤務時間を減らしてもらい、彼のサポートを続けた。
冬、一時的に体調は持ち直したかに思えた。しばらく家族で過ごせる時間も持つことができたが、年が明けて、病状が深刻になった。
入院。そのときに「もってひと月」という余命宣告を受けた。
わたしはショックでボロボロになりながら、亜弥を連れ、毎日のように見舞いに行った。余命宣告を越えて、春を迎えた。
夫は痩せ衰え、顔色も悪くなりながら、それでも妙に明るかった。
「桜餅、食べたいな」
そういわれて、わたしは昔聞いた聡史の実家のそばにあるお店のを買っていった。
彼はすぐに気づいた。懐かしいな~と弱々しくいいながら、わたしが差し出すそれをたったひと口食べた。
それが彼の人生最期の食事だった。
その後、容態は急変。
「ありがとう。君ともう一度、一緒になれてよかった」
最期の言葉だった。
あの人はこの世を去った。
どうしてでしょうか。
なぜ、わたしの愛したあの人は、こんなに早く死なねばならなかったのでしょうか。
わたしがかわりに死にたかった。あの幸福な時のまま、わたしが死ねば良かった。そうしたら、わたしは満足なのに。
彼の後を追いたかった。でも、できない。亜弥がいる。
それにお腹の子がいる。
お願いです。
誰か――
誰か教えてください。
わたしのせいなのでしょうか――
一年が過ぎ、わたしは社会復帰した。
生まれた子は男の子だった。聡(さとる)と名付けた。
妊娠と出産と育児の期間、頑張って資格を取った。夫の死後、本当に死に物狂いで努力し、医療事務の資格を取った。そのおかげと、夫の友人であった医師の紹介もあり、派遣ではなく正社員として働ける職場を得た。
亜弥と聡は、夫のご両親が変わらずサポートしてくれ、すごく助かっている。帰る場所も変わらず、夫の実家だ。
ご両親は子供たちをすごくかわいがってくれる。
わたしは33歳になっていた。亜弥はこの春、小学校に上がる。
前年の7月に生まれた下の子、聡は成長が早く、先日、自分の足で立って、少しだけ歩いた。
子供たちの成長だけが、わたしの生きがいだった。
ある日、勤め先の病院の食堂でお弁当を食べていると、近くの看護士たちのひそひそ話が耳に入った。どうやら院内のある医師と看護士の不倫についての噂のようだった。
病院はわりとそんな話が多いと感じる。けれど、不倫はこりごりだ。
まして、今のわたしは聡史のことが忘れられない。もうずっと恋している。
もう生涯、あの人でいい。あの人がいい。
生きている間に会えなくても。
わたしは同じ人に二度、恋をした。
決して褒められない、人には罵倒されるような経験のあげくだったけれど。
でも、二度目のすごく強い恋のさなかに、その人を亡くしてしまった。
子供がいなかったら、そして仕事を応援するというあの人の言葉がなければ、わたしはあのときにもうだめになっていただろう。
子供たちのために働く。そして聡史のかわりに、子らを一人前にして独り立ちさせる。
そのときまで、あの世でも、天国でも、なんでもいい。
待っていてほしいと思う。
もしかしたら彼は迷惑かもしれない。
けれど、許してほしい。わたしは彼の元へ行って、またあのときのようになりたい。そればかり切望してしまう。
聡史のことが好きすぎて、今でも心底愛していて、他のことはもうどうでもいい。
自分の償いは自分の役目を果たすこと。
それだけが今の目の前にあること。
いい加減にはしない。絶対に。
亜弥も、聡も、めいっぱい愛する。育てる。わたしみたいな馬鹿な過ちを犯さない子に育てる。
子らが大きくなったときには、わたしの過ちも含め、すべてを伝えようと思う。あなたたちのお父さんが、どれだけ素晴らしい人であったか。子供たちやわたしを愛してくれていたか。
そうして……
それを終えたら、もういいよね?
一周忌の法要が執り行われた。
お寺での法要には、親戚だけではなく、聡史の主治医であった友人医師の姿もあった。なんでも、親御さんに聡史が頼んでいたらしい。一周忌には必ず彼を呼んでほしいと。
わたしは聞かされていなかったけれど、病床の彼からそんなことをいわれたら、ヒステリックに拒絶したかもしれない。わたしは最後の最後まで奇跡を信じたかった。けれど、彼はとっくに覚悟ができていたようだ。
法要の後、近しい親戚と友人医師を交えての会食があった。まだ一年――湿っぽい会食だった。
その最中、友人医師が「ちょっといいですか」とわたしに耳打ちした。
わたしは席を離れ、友人医師と会食会場の外へ出た。
彼は懐から封筒を取り出し、差し出してきた。
「預かっていたものです。子供も生まれ、少し気持ちが落ち着いているようだったら渡してほしいと」
「え?」
「聡史からです」
手に取ると、わたしの名前が聡史の字で表書きされていた。封はされたままだ。
「お詫びしなければならないことがあります」
友人医師は頭を下げ、告白した。
じつは、聡史の癌の発覚は、本当は2011年の1月だったと。その段階ですでに手遅れで、手術をしたところで延命にしかならないとわかっていた。
医師としては手術を勧めた。万に一つの可能性もあるといったが、やはり気休めだった。それは聡史もわかっていたようだった。
この段階で余命半年、という診断だった。
そこで聡史は、「このことは誰にも黙っていてほしい。親にも。手術は受けるが、ポリープか何かということにしてほしい」といった。
聡史は会社に自分の本当の病状を伝え、部署の転属を願い出た。会社は過去の彼の功績を高く評価していて、これまで無理をさせてきた事実もあった。すぐに1月から時間の取れる部署に移ることができた。そして、この事実は会社にも秘密にしてもらったという。
ポリープという名目で手術を受け、そして聡史は、自分の病状については黙したまま、そこから復縁のために動き出したのだと。
「なんで、そんなことを……。なぜ主人はわたしやご両親にまで秘密にしていたんでしょうか」
わたしは手紙を手に握りしめたまま、医師に問いかけた。
「わかりません。あなたに負担をかけたくなかったのか、真意は自分も聞いていません。ただ、驚くべきことがあります。これは聡史から、絶対にあなたに伝えてほしいといわれていたことです」
「なんでしょう」
それは…と彼が語ったのは、復縁後、5月下旬の検診で、聡史の病状は奇跡的なほど持ち直したということだった。
もしご要望があればカルテもレントゲンもお見せする。彼の癌はもういくつかの部位に転移していたのだが、一時的にそれが小さくなったのだと。
その前月、わたしと聡史はもう一度ちゃんと結ばれることができていた。
「もしかしたら、と思いました。このまま奇跡が起き、彼が回復するのではないかと、本当に思った」
が、8月に再手術になってしまったのは、その癌細胞が再び大きくなってくるのが確認されたからだと。
「聡史はいっていました。このまま癌で亡くなったら、かならずあなたは自分のせいで夫が亡くなったのではないかと思うと。たとえば復縁のストレスとか、そういうもので追い詰めたのではないかと」
その通りだった。
わたしのせいではないかと、ずっと思っていた。
「ですが、そうではないんです。あなたとやり直せたことで、聡史の病状は回復していたんです。医学的にはほとんど奇跡的に。だから、あなたにこの手紙を渡すときに、その事実を伝えてほしいといわれていたんです。もっと早くにお伝えした方が良かったのかもしれませんが、お子さんの出産などもあり、タイミングを躊躇している内に今になってしまいました。申し訳ない。一周忌には招くように親御さんに伝えてあるので、遅くともそこでこの手紙を渡してほしいと依頼されていたんです」
涙ながらに伝えてくれた。
わたしは呆然と手紙を手にたたずんでいた。
帰宅後、子供たちも寝静まってから、わたしは手紙を開封した。
こわかった。手が震えた。
なにがこわかったのか、よくわからない。今さらのように聡史から恨み辛みをしたためられているのではないかとか、そんな妄想も頭をよぎった。
もちろんそんなことをする人ではないと信じていたが、わたしが過去に行った罪の根深さが、そんなことさえ思わせた。
愛する――
そう、そういう書き出しとわたしの名への呼びかけで始まっていた。
これを君が読むとき、自分はもうこの世にいないはずです。
最初に言いたい。
ありがとう。もう十分に償ってもらいました。
たぶん君は、償いきれないうちに僕が死んでしまい、もしかすると僕の病気のことも自分のせいではないかと思っていると、推測しています。
当たった? その通りじゃない?
ハハ。
実は僕は超能力者なんだ。
ていうのは嘘だけどね。
その程度のことは、わかるよ。
君のことは、よくわかってる。長い付き合いだから。
それに、君が今の僕をすごく愛してくれて、僕や亜弥、それにお腹の子のことを、ほかのどんなことよりも考えて、自分を滅して、尽くしてくれていることがわかってる。両親への振る舞いをみていても、それはわかる。
だから、まず言いたい。
もう十分に償ってもらったよ。
君の償いは、「僕がちゃんと再び君を愛せるようになったこと」です。
言っている意味、わかるかな?
僕は今、ちゃんと君を愛せている。
以前のように。
いや、違うな。以前よりも、ずっと。
交際が始まった20歳の頃より、結婚した頃より、今の君が愛おしく、大切に思う。
そうなれたのは、すごく幸せなことで、そうなれたのは君がもう一度、信じさせてくれたから。
むろん100%の信頼なんて、普通にどんな夫婦だってなかなかできないけれど、以前、何も考えずに無条件で信じ込んでいたのと違う意味で、僕は君を信じられる。
なんていうのかな。
そう、君がもう一度僕に信じようと思う勇気を与えてくれた。
少し順を追って説明します。
僕の癌は2011年の初めにはわかっていました。その段階で、余命は半年とあいつに告げられました。あの馬鹿医者です。ま、悪く言っちゃいけないんだけど(笑)。
あいつはできのいいやつで、医者としても優秀らしい。
そのとき僕が考えたのは、半年という限られた時間の中で、自分の残された命をどう使うか、何ができるのかということでした。余命を宣告され、ショックだったけど、限られた残りの時間だからこそ、真剣に考えた。
人は皆、本質的には限りある命なんだけど、本当に先のタイムスケジュールが見える形で突きつけられてしまった。
正直に言います。
最初に考えたのは、亜弥のことでした。
亜弥は一度、母親を失う経験をさせてしまっています。ごめん。君には痛い言葉だと思うけれど、どうか読み進めてほしい。そうさせたのも自分です。
母親と離別、今度は父親の僕がこの世を去ってしまう。確実に。
親を失うという体験は、人生のどこかで起きることだけれど、まだ幼い亜弥にとってはあまりにも酷だと思った。さいわい、亜弥は君のことが好きだ。今まで黙っていて申し訳なかったけれど、亜弥がパパとママと一緒にいたいと願っていたというのは感じていた。
それができなかったのは、自分のせいです。
あのときの心の傷が、どうしても癒えなかった。あ、これは、君を責めるために書いているのではなく、今はもう癒えたと感じているから、そうはっきり告げています。
でも、とにかく亜弥のために、母親だけはそばに戻してやりたかった。
余命を告げられなければ、君との復縁はまだまだずっとできなかったかもしれない。
亜弥の次に考えたのが君のことです。
もしこのまま自分がこの世を去ったら、君はどう思うだろうと考えた。君はずっと僕たちに償いをし続けなければと考えていたよね。それは見ていてわかる。でも、僕が死ねば、君は償いをする対象を失い、またこのような形で僕が亡くなってしまったことにすら、きっとすごい責任を感じて、もっともっと深い後悔の中で人生を生きなければならなくなる。
そんなふうになってほしくなかった。
それに、僕自身、あのときのままの状態でこの世を去りたくなかった。
それは、悔しいと思った。それでは、何か負けるような気がした。
誰にというわけでもないんだけど。たぶん、自分自身にだと思う。
だから、僕と君の関係を何らかの形で取り戻したかったんだ。
それに、この残り少ない命を、より価値あるものにしたかった? なんかそんな思いもあった。
あ、君との復縁は、癌になった自分のお世話をしてもらうためじゃないよ(笑)。そんなこと思ってないと思うけど、念のため。
復縁を実行すると、君はもう一度、僕を失うことになって、すごく辛い経験になってしまうとわかっていた。
そのことも考えた。
でも、ここはわがままを通すことにした。ごめん。
僕は君という存在を自分の人生に取り戻したかったし、それに矛盾しているかもしれないけれど、残された命で君を解放したかった。
君が僕たちに償いをし続ける人生ではなく、君と僕がもう一度愛し合える人生にして終わりたかった。
それが僕が最後にできることだと思った。
末期癌であることを隠していたのは、それを告げての復縁だったら、君は僕に対して償いという姿勢でしか関われないと思ったから。
そんなんじゃない。もう一度、当たり前の夫婦になりたかった。
生きている間にそれができるかどうか、癌と発覚するまでにできるかどうか、時間との闘いだった。
でも、限られた命だからこそできると思った。
それはできた、と感じている。
僕は満足だ。
悔いはない。
あ、いや。違うな。
もう少し自分の健康を管理しておけば、こんなことにはならなかった。
仕事仕事で、少々の不調など無視し続けて、この結果だ。
かわいい亜弥の顔をもっと見ていたかった。
かわがってやりたかった。
生まれてくる子にも会いたかった。
子供たちの成長を見守りたかった。
成人式。結婚式。孫の誕生。
どれもこれも本当に見たいよ。
でも、もう見られない。
子供が手を離れてから過ごす君との暮らし。
もう、その全部を見ることができないし、体験することもできないけれど、天国からは必ず見守る。
君も幸せになってほしい。
もう僕からは解放されて。
僕は君を取り戻し、半年と言われた余命が、少し伸びたみたいだ。
復縁して一年。
人生最高の一年だったよ。
僕も君にもう一度恋をした。大好きだよ。
君にはこれからの人生、きっと長い時間がある。
その時間を大切に使ってほしい。
子供たちのこと、よろしく頼む。
そして、君自身が僕から解放されて、幸せになることを願う。
本当に願う。
だから、そんなチャンスがあったら、迷わずそれをつかみ取ってほしい。
遠慮なんかするな。
それが僕の望みだ。
まだまだ告げたいことはたくさんあるような気がするけれど、最後にかけたい言葉はやはりこれだけだ。
愛している。ありがとう。
読みながら、手紙を握る手がぶるぶる震え続けた。
泣いた。
子供たちを起こさないように、声を押し殺していたけれど、読み進めるうちに我慢できなかった。彼の名を呼びながら、号泣した。
月日は流れる。
子供たちは成長していく。
それでも――
わたしはずっと聡史のことを思い続けている。それは何も変わらない。
春が訪れるたび、桜が咲くたび。
わたしはそこかしこに彼の思い出をあたためる。
幾度も思い出し、泣いたりもする。少しずつ微笑めることもある。
春の彼の命日には、いつもお参りをする。
今年、早咲きの満開の桜の下、花びらがいっぱい墓に散っていた。
彼岸から間もないが、
あらためて掃除をし、
水をあげ、
花を取り替え、
線香に火をつけながら、
わたしは語りかける。
「あなた、亜弥は今度もう6年生だよ。いいお姉ちゃん。聡は小学校に上がるよ。やんちゃよ。誰に似たんだろうね」
「お義母さん、こないだぎっくり腰になってね、大変だったのよ」
「お義父さん、あれでけっこう優しいね。今、家で看病してるの」
「それからね、こないだ家に野良猫が来てね、亜弥がね……」
些細なことから大きなことまで報告しながら。
「桜餅、買ってきたよ。あなたの好きなお店の」
供える。
「ママ!」
亜弥が呼び走ってくる。その後ろから、頑張って聡がついてくる。わたしは立ち上がり、少し腰をかがめて二人の子らを迎える。
ざっ、と風が吹いた。
桜の花びらが、たくさん舞った。なんだか、喜んでいるみたいに。
――――「桜餅 fin」
あの日がやってきた。
3.11――
派遣で勤務していた会社のオフィスもパニックになった。余震の続く中、背筋が凍るような情報が次第に入ってきて、帰宅命令が出された。個別の会社の事情などよりも、この国が根底的に覆るような大きな危機感が直感的にあった。
地震発生直後から、わたしは幾度も聡史の携帯電話にかけていたが、まったくつながらなかった。メールを送っていたが、それも届いているのかどうかもわからなかった。
聡史と娘のことが心配でならなかった。
交通網が麻痺した中、誰もがそうであったようにわたしはアパートへ歩いて帰った。踵のあたりがすりむけ、痛みに耐えながら歩き続けた。
聡史の実家は、アパートからさらにその先にある。だから一度アパートに帰ってから、そのまま向かうつもりだった。
時折襲ってくる余震が怖かった。それ以上に聡史と娘のことが案じられてならなかった。歩きながら幾度もメールをしていた。
今、アパートに戻っている途中です。心配です。ごめんなさい。後からそちらへ伺ってもいいですか。
しかし、アパートに戻れたのは深夜だった。
いつも出かけるときに玄関に置く写真立てが下に落ちていた。ガラスが割れていた。胸騒ぎがする。
そのとき、携帯電話が鳴った。メールの返事がようやく来た!
無事です。亜弥も大丈夫。来てください。
ほっとした。それにうれしかった。「来てください」という表現に――。
わたしは動きやすい服に着替え、ぼろぼろの古いスニーカーに履き替えた。そして、再び歩き出した。
離婚後、わたしは自分の実家を出た。あれだけのことをしでかして、両親に甘えて過ごすなど、とてもできなかったし、聡史の実家の比較的近くで生活をしたかった。あまり近くではきっと嫌がられる。そう思い、駅二つ離れたところにアパートを借りたのだ。
深夜の道は、あり得ないほど人であふれていた。
徒歩で帰宅する人々に混じって、聡史の実家にたどり着いたのは、午前3時頃だった。が、家を前にしてわたしは体がこわばってしまった。
子供との面会の時は、たいていどこか外で待ち合わせる。自分の不貞発覚以来、この実家を訪ねるのは初めてだった。
どの面を下げて会えるというのだろう。離婚が決定的になって、両家の話し合いが行われ、そのときにご両親に会ったきりだ。聡史のお母様の鋭い侮蔑に満ちた言葉や眼差しが、今でも心に焼き付いている。
胸がドキドキした。
無事が確認できたのだから、ここまで来る必要はなかったのではないか。訪ねていったら、不愉快に思われるのではないか。いや、そうに決まっている。来るべきではなかったのではないか。
迷っていると、ふいに玄関の扉が開いた。
聡史だった。彼はわたしを見つけると、ほっとした表情を浮かべた。
「ああ、着いたんだね。中へ入って」
心配で何度か外の様子をうかがっていた、ということだった。
「い、いいかな」
「もちろんだよ。さあ」
非常時でなければ、敷居をまたぐことはなかっただろう。
リビングにご両親がいた。慄然とせざるを得ない光景を幾度も映し続けるテレビの画面を見入っていたが、わたしが入っていくと気づいた。
ああ、とお母様はわたしの名を呼び、立ち上がった。
「来れたの! よかった。大丈夫だった?」
手を差し伸べられ、腰から砕けそうなほど安堵した。
「はい。ありがとうございます。あの、こんなときなんですが、来てしまってごめんなさい」
「歩いてきたのかね。いやまあ、そうだろうな。疲れたろう」
と、お父様も気遣ってくださった。
「亜弥は……?」
「今は寝てる」と、聡史。「ただ余震を怖がって、何度も起きてきた。僕らも眠れなくてね」
「様子を見に行って、いい?」
「ああ、こっちだ」
案内された部屋で亜弥は眠っていた。寝顔なんて見るの、いつ以来だろう。閉じたまぶたや鼻筋にかけて、ますます聡史に似てきた。
つい、そっと髪に触れた。
ずしっという響きとともに、また余震がやってきた。かなり大きい。
ぱちっと亜弥が目を開けた。おびえた表情の後、すぐにわたしに気づいた。
「ママ?」
「うん、ママだよ」
ママだ、ママだ、といって亜弥は両手を伸ばしてきた。わたしは思わず娘を抱きしめた。涙があふれた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」
娘にささやいた。
「ママ、ここにいて」
「うん。いるよ」
しばらくそばにいた。娘は寝息を立て始めた。
ずっと聡史は、同じ部屋の中で見守ってくれていた。
眠りに落ちたことを確認して、わたしは立ち上がり、聡史に頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたや亜弥の顔を見て、安心しました。帰りますね」
「今日はもう泊まっていったら」
「え?」
「まあ、泊まるっていっても、もう未明だけど。今日は土曜日だし、電車とか交通機関がもうちょっと正常になるまでいたら?」
「でも、ご両親に申し訳なくて……」
「心配ないよ。――ああ、少し話、できないかな」
わたしは戸惑いながら、「はい」と答えた。
聡史の書斎に案内された。そのとき、足を引きずっているのを見られてしまった。
「どうしたの?」
「あ、歩きすぎて、ちょっと……」
「血が出てない? ああ、そこで待っていて」
大学の交際時代に幾度か訪れたことがあった。聡史の書斎には、すごくたくさんの蔵書がある。わたしには理解できなさそうな科学や宇宙の本がたくさんあるし、小説も書棚をびっしりと埋めている。
落ち着く感じがした。
聡史はすぐに消毒液と大ぶりなガーゼ付き絆創膏を持ってきてくれた。
「出して」
「あの、自分でします。ありがとう」
そんなことまで、とてもしてもらえなかった。
消毒液を返して、もう一度礼をいった。
そういう人だった――とあらめて思った。当たり前にわたしの些細な変化や表情に気づいて、「だいじょうぶ?」とか「どうしたの?」とかいってくれる人だった。
わたしが浮気に走った頃も、それがなくなったわけではなかった。ただ、恋人時代や新婚時代のようにわたしが新鮮に感じなくなっていただけ、彼の仕事のために頻度が少なくなっていたというだけ。
「あの、話って……」と、切り出した。
聡史は悩ましい表情をしていた。いい出しにくいことを抱えているように見え、不安になった。もう面会させてもらえないとか、そんな話か――
あるいは、聡史が誰かと再婚するとか。
それは大いにあり得ることで、いつも不安に思っている。そうなったときには、わたしももうこんなふうには関われないのではないかとも。
「こんなタイミングでなんなんだけど、復縁してもらえないかな」
え――?
「もし君がいやでなければ――それと、たとえば君に誰かお付き合いしている人とかいなければ」
あまりにも唐突すぎて、頭で言葉がちゃんと理解できなかった。嘘ではない。本当に狼狽してしまってわからなかったのだ。
「え? え? ごめんなさい。もう一度いって――」
「だから、よかったら、もう一度結婚してほしい」
「…………」
「だめかな」
ようやく意味が体に入ってきた。その言葉は、この二年半、わたしが心底望んでいたものだった。誰もが思うだろう。そんな言葉をかけてもらって、その瞬間にわたしが小躍りしなかったのはおかしいと。
でも、なぜかそうはならなかった。
「ど、どうして……?」
「ちょっと前から考えていて、じつは明後日、話そうと思っていたんだ。ほら、1月にポリープの手術したっていったよね。そのときに、いろいろ思ったんだ。ああ、それに……こんなことが起きて、今の亜弥の様子を見て、よけいにね」
涙が勝手に、どんどん頬を伝って落ちるのがわかった。だけど、わたしは馬鹿みたいにずっと聡史の顔を、目を、見つめていた。やがてそれは潤んで見えなくなってしまい、手でこすって、それでもなお、わたしは見つめ続けていた。これは夢? 本当のことなの?
「あの頃、僕もいけなかった。僕は頭でいろいろ考えて、先々のことまで計画するのが好きなのは知ってるだろ」
うん、と機械的にうなずいた。涙がバラバラとこぼれた。
「何歳までにどうなって、いつ頃には家を建ててとか。そんな自分の考えにがんじがらめになっていた。それって、うちの親から受け継がれてるんだよ。そういう教育方針だったから。まあ、親のせいになんかできないけど、そんな性格だから、君の気持ちに応えられなかった。ちゃんとやってればわかってくれると思い込んでいた」
「違う……それは違う……」
「1月から時間も作れる部署に変わって、そうしたら娘もすごく喜んでくれた」
彼は苦笑した。
「そういうことなんだって、わかった。だから、前のようなことはないと思う。やりなおしてもらえないかな」
「どうして……?」
聡史は怪訝そうに見つめ返した。
「どうして、そんなふうにいつもいうの!」
わたしはつい、大きな声を出してしまった。
「わたしを叱ってよ! 罵ってよ! わ、わた…わたし、一度も怒られてない!……あのときだって『離婚させてください。お願いします』だなんて――」
呼吸がうまくできなくなっていた。息継ぎすら苦しく、次の言葉が出てこないほどだった。
「あ……わ、……わたしがあのとき、どれだけ怒ってほしかったか……。わたし、罰がほしかった。徹底的に痛めつけてほしかった。そ…れなのに、慰謝料もいらないとか…ありえないよ! 亜弥にだって会わせてもらって、だから、亜弥は今でもちゃんとわたしのこと、『ママ』って呼んでくれて……。それは感謝してる。だけど、聡史がいけない!……ああ、ああ、違う! ごめん。違う違う! いけないのは、わたしなの。わたしが全部悪いのに。だけど…だけど…わたし、ああ…わたし、なにいいたいんだろ……」
聡史は黙って待ってくれていた。ようやく、言葉を見いだした。
「叱ってもらえないと、わたし、聡史のお嫁さんに……ヒック……もう一回なんて、なれないよぉお!」
パシーン、と目が覚めるような一撃があった。
一瞬、何が起きたのかもわからず、わたしは部屋の片隅を見つめていた。視野に聡史はおらず、自分の首がねじ曲がるほど、違った方向を見ているのに気づいた。
「これでいいか」
振り向くと、聡史が手を引っ込めるところだった。もう一度、彼はいった。
「これでいい?」
「はい……」
わたしは呆然と、叩かれた左頬を触った。
「じゃ、復縁してくれる?」
「はい」
わたしは起きた現実を、まったく受け止め切れていなかった。
「あの……。これ……」
わたしは持ってきた聡史名義の通帳を差し出した。もし何かこの地震でトラブルなどあれば、使ってもらおうと思って持ってきていた。昨日入金し、ようやく7桁に届いたばかりだ。
「まだ、ぜんぜん少なくて、恥ずかしいんだけど。せめてもの償いだと思って、受け取ってください」
聡史は通帳を開き、少し驚いたようだった。
「わかった。ありがとう。受け取ります」
そういって微笑んだ。その顔を見て、わたしはボロボロ泣き出した。
「本当にいいの? 本当に復縁してもらえるの……」
「本当だよ」
「ありがとう……。ありがとうございます。今度こそ、一生かけてあなたを愛します。償いをさせてください」
聡史に抱きつきたかった。すがりついて、おんおん泣きたかった。でも、我慢した。そんなこと、まだできる資格はない。
彼はそれから、これからのことを話した。
もうすでにご両親には、復縁の可能性を伝えていて、わたしさえOKならと納得してくれている(道理で当たりが柔らかだった)。
この二年半、わたしが独りで頑張っていること、その中で聡史や亜弥のことだけ考えていること、口先だけでない反省をし、きっとこのままだと他の誰とも再婚せずに生きていこうとするだろうとか、そんなことを聡史は伝えていたらしい。
見ていてくれた……。うれしかった。
なによりも亜弥にとっても、やはり母親がいた方がいい、そのことは一番だと思ったと。
ご両親も、だんだんとわたしを不憫に思い、同情的な態度を示してくれていたそうだ。復縁してやったら、ということも、じつはお母様が最初にいい出したそうだ。
聞かされると、何か胸が締め付けられた。わたしなんかのことを、そんなふうに思ってくれていたなんて。
ありがたかった。ありがたすぎて、申し訳なかった。
ただ自分も迷いがある、と聡史はいった。
前回のことはどうしても癒えないトラウマのようになって残っていて、今でも苦しくなることがある。離れていると大丈夫だったが、一緒に暮らすようになったら、時には怒鳴ったりイライラしたりして、感情的になってしまいそうに思うと。
当たり前だと思う。それだけのことをわたしはしたのだ。
そういうことがあっても我慢できる?と問われ、もちろんだと答えた。
そういった感情的な不安感を軽減するために協力してほしいといわれた。
「なんでもする。させて!」
仕事や外に持って行くこともあるので、携帯電話はロックしても良いが、互いのロックナンバーを教え合う。許可なくそれを変更せず、いつ相手が見ても良いことにする。少なくとも自分は見てもらっても困ることは一つもないと聡史はいった。もちろん同意した。
PCなどで使うメールも同様。
仕事で遅くなるとき、何か別な用事で外出するときは、ちゃんと報告すること。もちろん、ちゃんとする。
「一度失われてしまった信頼関係は、なかなか取り戻せない」と聡史はいった。痛い言葉だったが、それは当然だった。
ゼロからではないと、わたしはこのとき感じた。わたしたちの場合、マイナスから回復しないといけないのだということが、このときの話でよくわかった。
わたしは自分からも提案した。
「もしこの後、また信頼を裏切るようなことがあれば、即離婚でいい。わたしの署名と捺印をした離婚届を用意しておきますから、それをあなたが持っていてください。でも、そんなことはもう絶対にしないと誓います。そんなことをしたら、わたし、自分で命を絶ちます」
聡史はそのとき、何かすごく辛そうな表情をした。
「命を絶つなんていうな」
そうして、わたしと聡史の再構築が始まった。
まずは少しずつならしていこうということで、最初は週末だけ実家にお泊まりするようにした(これは実質的に震災直後の土日からになった)。
ご両親は寛大にもわたしを温かく迎えてくれ、結婚したての頃と同じように接してくれた。
亜弥と過ごせる時間。
家族で囲む食卓。
わたしが取り戻したくて夢にまで見た光景だ。幾度も幾度も、その当たり前の団らんの中でうれしさのあまり泣きそうになった。
だが、やはり聡史との関係は、すぐにすべては回復しなかった。
以前のような、かつての友人関係から恋人になり結婚したときの、屈託のない関係ではなくなっていた。
彼はやはり、時折すごく苦しそうだった。それは月一で会っていたとき以上に見えた。そんな彼に、わたしもどう接したらいいのかわからない。明るく振る舞っていた方がいいのか、気持ちに寄り添うようにした方がいいのか、あやまったほうがいいのか。結局、どれもできず……。
ごめんなさいと、いつも心で詫びた。
けれど、聡史は最初に自分で不安だといったような、感情の乱れはほとんど見せなかった。怒ることもないし、ほとんど苛つくこともない。
あの何もなかった時代の態度とは違っていたが、すごく普通に振る舞ってくれた。気遣いもしてくれ、当たりも柔らかだった。笑顔も見せてくれる。冗談さえいう。そんなこと、普通できるだろうか……。
そう、この再構築の時期になって、わたしは初めて考えた。
もし、自分が逆の立場で、聡史が浮気をし、わたしが許さねばならない側になったのなら、こんなふうにできただろうか、と。
絶対無理、だった。
あまりにも身勝手な考えだけれど。
わたしは聡史を信頼していた。絶対に裏切らない人だと思っていたので、もしそんなことになったら、怒りや憎しみも容易には消えなかっただろう。再構築になっても自分のコントロールなど、とてもできた自信がない。
きっと些細なことで当たり散らしたに違いない。あれが気に入らないこれが気に入らない、わたしが気持ちが荒れるのもあなたのせいだ、と。
それなのに、彼は――。
すごいと、心底感じた。
わたしは彼のことを、あらためて本当の意味で尊敬できた。自分で原因を作っておきながら、こんないい方は失礼そのものかもしれないけれど、わたしは昔以上に、毅然と律し続ける彼に恋した。前とは違う深い愛情を感じた。
たぶん大丈夫だと思うというので、ひと月もたたないうちに完全な同居に移行し、婚姻届を提出した。
伝えると、わたしの両親は手放しで喜び、すぐに聡史の実家に押しかけてきた。父も母も泣きながら彼に礼をいった。久しぶりに両家の家族での祝いをした。
婚姻届を出すタイミングで、わたしは訊いた。
「仕事、辞めたほうがいい?」
わたしが外に出ない方が、きっと聡史も安心するのではないかと考えたからだ。しかし、意外にも「いや、仕事は絶対に続けてほしい」と。
それどころか、「派遣でなく、正社員になって。そこは応援するから」とまで。
戸惑いながらも、わたしは「なら、頑張る」と応えた。
一番大きな問題は、夫婦生活だった。
完全な同居に移行した夜、わたしはあらためて彼の前で手をつき、復縁してもらったこと、受け入れてくれたことの、心からの感謝を伝えた。
彼は抱きしめてくれた。
体が震えるほどうれしかった。
けれど、できなかった。
ごめんといわれ、わたしのほうがごめんだよと泣いた。
わたしと聡史は、どちらもが奥手で、お互いが初めての相手だった。
だからこそよけいに、彼は別の誰かに汚されたわたしへの心理的抵抗が強かったのかもしれない。
それは幾度か続いた。
思い通りにならない機能に、聡史はすごく悩み、苦しんでいた。「くそっ」と、このときだけは苛立った。それは、わたしへではなく、自分に苛立っているようだった。
嫌悪感があるのなら、無理してくれなくてもいい。わたしはあなたと亜弥のそばにいられるだけで幸せです。それ以上の何も望まない。今のままで十分すぎるほど幸せです。
そういった。
そして、本当の思いを語った。
「こんなこというの、少し恥ずかしいんだけど……今ね、もう一度あなたに恋をしてる。学生時代よりもずっと強く恋してる。こんなこと、誰だってそんなにできない。それだけで、本当に幸せなの。わたし、このままずっと片思いでいいの。命を終えるまで、あなたに恋し続けるから」
苦しむ彼の背を抱いた。
彼はガバッと振り返り、わたしを抱きしめた。
もう一度、愛撫してくれた。
そして、その夜、ついに結ばれた。
おかしな話だけれど、痛かった。まるで初めての時みたいに、すごく痛かった。そういうこともあるのだと後で知ったが、出血もした。
痛みの中で、彼とつながったとき、わたしはその痛みと喜びの中でわんわん泣いた。泣きながら彼の体に思いっきりしがみついていた。
ようやく、元に戻った――いや、そうじゃない。
彼と新しい夫婦関係を築くことができた。
そうして――
ああ。
なんでだろう。
お願いです。誰か教えてください。
そうして、聡史はこの世を去った。
信じられない。
現実が受け入れられない。
8月、彼は一度入院した。彼の中学時代の友人が勤める大学病院で手術を受けた。
「大腸のポリープが大きくなっているので手術で切除します。なに、簡単なものですから、心配はいりませんよ」
その友人医師の説明に安心していたが、思いのほか手術は長かった。術後、聡史はなかなか食が戻らず、辛そうだった。
しかし、ひと月もすると以前とあまり変わらずに仕事をし、行動できるようになっていた。
彼と亜弥と、手をつないで歩く。
買い物に行く。
幼稚園の行事。
五人での日常の食事と団らん。
一つ一つの当たり前の日常に幸せを感じていた。
けれど、11月頃、再び聡史は体調を崩し、入院した。
そのときにわたしは、夫が癌であることを知らされた。8月の手術も本当は癌で、友人医師は夫から口止めされていたとのことだった。
「どうしていってくれなかったの」
病室でわたしは泣きながら訴えた。
「帰ってきてすぐ、癌になった夫の看病じゃ、かわいそうだから」
「ばか! いってよ。いくらだって看病するよ! させてよ」
「うん。これからはお願い」
抗がん剤や放射線などによる苦しい治療が始まった。
わたしは勤務時間を減らしてもらい、彼のサポートを続けた。
冬、一時的に体調は持ち直したかに思えた。しばらく家族で過ごせる時間も持つことができたが、年が明けて、病状が深刻になった。
入院。そのときに「もってひと月」という余命宣告を受けた。
わたしはショックでボロボロになりながら、亜弥を連れ、毎日のように見舞いに行った。余命宣告を越えて、春を迎えた。
夫は痩せ衰え、顔色も悪くなりながら、それでも妙に明るかった。
「桜餅、食べたいな」
そういわれて、わたしは昔聞いた聡史の実家のそばにあるお店のを買っていった。
彼はすぐに気づいた。懐かしいな~と弱々しくいいながら、わたしが差し出すそれをたったひと口食べた。
それが彼の人生最期の食事だった。
その後、容態は急変。
「ありがとう。君ともう一度、一緒になれてよかった」
最期の言葉だった。
あの人はこの世を去った。
どうしてでしょうか。
なぜ、わたしの愛したあの人は、こんなに早く死なねばならなかったのでしょうか。
わたしがかわりに死にたかった。あの幸福な時のまま、わたしが死ねば良かった。そうしたら、わたしは満足なのに。
彼の後を追いたかった。でも、できない。亜弥がいる。
それにお腹の子がいる。
お願いです。
誰か――
誰か教えてください。
わたしのせいなのでしょうか――
一年が過ぎ、わたしは社会復帰した。
生まれた子は男の子だった。聡(さとる)と名付けた。
妊娠と出産と育児の期間、頑張って資格を取った。夫の死後、本当に死に物狂いで努力し、医療事務の資格を取った。そのおかげと、夫の友人であった医師の紹介もあり、派遣ではなく正社員として働ける職場を得た。
亜弥と聡は、夫のご両親が変わらずサポートしてくれ、すごく助かっている。帰る場所も変わらず、夫の実家だ。
ご両親は子供たちをすごくかわいがってくれる。
わたしは33歳になっていた。亜弥はこの春、小学校に上がる。
前年の7月に生まれた下の子、聡は成長が早く、先日、自分の足で立って、少しだけ歩いた。
子供たちの成長だけが、わたしの生きがいだった。
ある日、勤め先の病院の食堂でお弁当を食べていると、近くの看護士たちのひそひそ話が耳に入った。どうやら院内のある医師と看護士の不倫についての噂のようだった。
病院はわりとそんな話が多いと感じる。けれど、不倫はこりごりだ。
まして、今のわたしは聡史のことが忘れられない。もうずっと恋している。
もう生涯、あの人でいい。あの人がいい。
生きている間に会えなくても。
わたしは同じ人に二度、恋をした。
決して褒められない、人には罵倒されるような経験のあげくだったけれど。
でも、二度目のすごく強い恋のさなかに、その人を亡くしてしまった。
子供がいなかったら、そして仕事を応援するというあの人の言葉がなければ、わたしはあのときにもうだめになっていただろう。
子供たちのために働く。そして聡史のかわりに、子らを一人前にして独り立ちさせる。
そのときまで、あの世でも、天国でも、なんでもいい。
待っていてほしいと思う。
もしかしたら彼は迷惑かもしれない。
けれど、許してほしい。わたしは彼の元へ行って、またあのときのようになりたい。そればかり切望してしまう。
聡史のことが好きすぎて、今でも心底愛していて、他のことはもうどうでもいい。
自分の償いは自分の役目を果たすこと。
それだけが今の目の前にあること。
いい加減にはしない。絶対に。
亜弥も、聡も、めいっぱい愛する。育てる。わたしみたいな馬鹿な過ちを犯さない子に育てる。
子らが大きくなったときには、わたしの過ちも含め、すべてを伝えようと思う。あなたたちのお父さんが、どれだけ素晴らしい人であったか。子供たちやわたしを愛してくれていたか。
そうして……
それを終えたら、もういいよね?
一周忌の法要が執り行われた。
お寺での法要には、親戚だけではなく、聡史の主治医であった友人医師の姿もあった。なんでも、親御さんに聡史が頼んでいたらしい。一周忌には必ず彼を呼んでほしいと。
わたしは聞かされていなかったけれど、病床の彼からそんなことをいわれたら、ヒステリックに拒絶したかもしれない。わたしは最後の最後まで奇跡を信じたかった。けれど、彼はとっくに覚悟ができていたようだ。
法要の後、近しい親戚と友人医師を交えての会食があった。まだ一年――湿っぽい会食だった。
その最中、友人医師が「ちょっといいですか」とわたしに耳打ちした。
わたしは席を離れ、友人医師と会食会場の外へ出た。
彼は懐から封筒を取り出し、差し出してきた。
「預かっていたものです。子供も生まれ、少し気持ちが落ち着いているようだったら渡してほしいと」
「え?」
「聡史からです」
手に取ると、わたしの名前が聡史の字で表書きされていた。封はされたままだ。
「お詫びしなければならないことがあります」
友人医師は頭を下げ、告白した。
じつは、聡史の癌の発覚は、本当は2011年の1月だったと。その段階ですでに手遅れで、手術をしたところで延命にしかならないとわかっていた。
医師としては手術を勧めた。万に一つの可能性もあるといったが、やはり気休めだった。それは聡史もわかっていたようだった。
この段階で余命半年、という診断だった。
そこで聡史は、「このことは誰にも黙っていてほしい。親にも。手術は受けるが、ポリープか何かということにしてほしい」といった。
聡史は会社に自分の本当の病状を伝え、部署の転属を願い出た。会社は過去の彼の功績を高く評価していて、これまで無理をさせてきた事実もあった。すぐに1月から時間の取れる部署に移ることができた。そして、この事実は会社にも秘密にしてもらったという。
ポリープという名目で手術を受け、そして聡史は、自分の病状については黙したまま、そこから復縁のために動き出したのだと。
「なんで、そんなことを……。なぜ主人はわたしやご両親にまで秘密にしていたんでしょうか」
わたしは手紙を手に握りしめたまま、医師に問いかけた。
「わかりません。あなたに負担をかけたくなかったのか、真意は自分も聞いていません。ただ、驚くべきことがあります。これは聡史から、絶対にあなたに伝えてほしいといわれていたことです」
「なんでしょう」
それは…と彼が語ったのは、復縁後、5月下旬の検診で、聡史の病状は奇跡的なほど持ち直したということだった。
もしご要望があればカルテもレントゲンもお見せする。彼の癌はもういくつかの部位に転移していたのだが、一時的にそれが小さくなったのだと。
その前月、わたしと聡史はもう一度ちゃんと結ばれることができていた。
「もしかしたら、と思いました。このまま奇跡が起き、彼が回復するのではないかと、本当に思った」
が、8月に再手術になってしまったのは、その癌細胞が再び大きくなってくるのが確認されたからだと。
「聡史はいっていました。このまま癌で亡くなったら、かならずあなたは自分のせいで夫が亡くなったのではないかと思うと。たとえば復縁のストレスとか、そういうもので追い詰めたのではないかと」
その通りだった。
わたしのせいではないかと、ずっと思っていた。
「ですが、そうではないんです。あなたとやり直せたことで、聡史の病状は回復していたんです。医学的にはほとんど奇跡的に。だから、あなたにこの手紙を渡すときに、その事実を伝えてほしいといわれていたんです。もっと早くにお伝えした方が良かったのかもしれませんが、お子さんの出産などもあり、タイミングを躊躇している内に今になってしまいました。申し訳ない。一周忌には招くように親御さんに伝えてあるので、遅くともそこでこの手紙を渡してほしいと依頼されていたんです」
涙ながらに伝えてくれた。
わたしは呆然と手紙を手にたたずんでいた。
帰宅後、子供たちも寝静まってから、わたしは手紙を開封した。
こわかった。手が震えた。
なにがこわかったのか、よくわからない。今さらのように聡史から恨み辛みをしたためられているのではないかとか、そんな妄想も頭をよぎった。
もちろんそんなことをする人ではないと信じていたが、わたしが過去に行った罪の根深さが、そんなことさえ思わせた。
愛する――
そう、そういう書き出しとわたしの名への呼びかけで始まっていた。
これを君が読むとき、自分はもうこの世にいないはずです。
最初に言いたい。
ありがとう。もう十分に償ってもらいました。
たぶん君は、償いきれないうちに僕が死んでしまい、もしかすると僕の病気のことも自分のせいではないかと思っていると、推測しています。
当たった? その通りじゃない?
ハハ。
実は僕は超能力者なんだ。
ていうのは嘘だけどね。
その程度のことは、わかるよ。
君のことは、よくわかってる。長い付き合いだから。
それに、君が今の僕をすごく愛してくれて、僕や亜弥、それにお腹の子のことを、ほかのどんなことよりも考えて、自分を滅して、尽くしてくれていることがわかってる。両親への振る舞いをみていても、それはわかる。
だから、まず言いたい。
もう十分に償ってもらったよ。
君の償いは、「僕がちゃんと再び君を愛せるようになったこと」です。
言っている意味、わかるかな?
僕は今、ちゃんと君を愛せている。
以前のように。
いや、違うな。以前よりも、ずっと。
交際が始まった20歳の頃より、結婚した頃より、今の君が愛おしく、大切に思う。
そうなれたのは、すごく幸せなことで、そうなれたのは君がもう一度、信じさせてくれたから。
むろん100%の信頼なんて、普通にどんな夫婦だってなかなかできないけれど、以前、何も考えずに無条件で信じ込んでいたのと違う意味で、僕は君を信じられる。
なんていうのかな。
そう、君がもう一度僕に信じようと思う勇気を与えてくれた。
少し順を追って説明します。
僕の癌は2011年の初めにはわかっていました。その段階で、余命は半年とあいつに告げられました。あの馬鹿医者です。ま、悪く言っちゃいけないんだけど(笑)。
あいつはできのいいやつで、医者としても優秀らしい。
そのとき僕が考えたのは、半年という限られた時間の中で、自分の残された命をどう使うか、何ができるのかということでした。余命を宣告され、ショックだったけど、限られた残りの時間だからこそ、真剣に考えた。
人は皆、本質的には限りある命なんだけど、本当に先のタイムスケジュールが見える形で突きつけられてしまった。
正直に言います。
最初に考えたのは、亜弥のことでした。
亜弥は一度、母親を失う経験をさせてしまっています。ごめん。君には痛い言葉だと思うけれど、どうか読み進めてほしい。そうさせたのも自分です。
母親と離別、今度は父親の僕がこの世を去ってしまう。確実に。
親を失うという体験は、人生のどこかで起きることだけれど、まだ幼い亜弥にとってはあまりにも酷だと思った。さいわい、亜弥は君のことが好きだ。今まで黙っていて申し訳なかったけれど、亜弥がパパとママと一緒にいたいと願っていたというのは感じていた。
それができなかったのは、自分のせいです。
あのときの心の傷が、どうしても癒えなかった。あ、これは、君を責めるために書いているのではなく、今はもう癒えたと感じているから、そうはっきり告げています。
でも、とにかく亜弥のために、母親だけはそばに戻してやりたかった。
余命を告げられなければ、君との復縁はまだまだずっとできなかったかもしれない。
亜弥の次に考えたのが君のことです。
もしこのまま自分がこの世を去ったら、君はどう思うだろうと考えた。君はずっと僕たちに償いをし続けなければと考えていたよね。それは見ていてわかる。でも、僕が死ねば、君は償いをする対象を失い、またこのような形で僕が亡くなってしまったことにすら、きっとすごい責任を感じて、もっともっと深い後悔の中で人生を生きなければならなくなる。
そんなふうになってほしくなかった。
それに、僕自身、あのときのままの状態でこの世を去りたくなかった。
それは、悔しいと思った。それでは、何か負けるような気がした。
誰にというわけでもないんだけど。たぶん、自分自身にだと思う。
だから、僕と君の関係を何らかの形で取り戻したかったんだ。
それに、この残り少ない命を、より価値あるものにしたかった? なんかそんな思いもあった。
あ、君との復縁は、癌になった自分のお世話をしてもらうためじゃないよ(笑)。そんなこと思ってないと思うけど、念のため。
復縁を実行すると、君はもう一度、僕を失うことになって、すごく辛い経験になってしまうとわかっていた。
そのことも考えた。
でも、ここはわがままを通すことにした。ごめん。
僕は君という存在を自分の人生に取り戻したかったし、それに矛盾しているかもしれないけれど、残された命で君を解放したかった。
君が僕たちに償いをし続ける人生ではなく、君と僕がもう一度愛し合える人生にして終わりたかった。
それが僕が最後にできることだと思った。
末期癌であることを隠していたのは、それを告げての復縁だったら、君は僕に対して償いという姿勢でしか関われないと思ったから。
そんなんじゃない。もう一度、当たり前の夫婦になりたかった。
生きている間にそれができるかどうか、癌と発覚するまでにできるかどうか、時間との闘いだった。
でも、限られた命だからこそできると思った。
それはできた、と感じている。
僕は満足だ。
悔いはない。
あ、いや。違うな。
もう少し自分の健康を管理しておけば、こんなことにはならなかった。
仕事仕事で、少々の不調など無視し続けて、この結果だ。
かわいい亜弥の顔をもっと見ていたかった。
かわがってやりたかった。
生まれてくる子にも会いたかった。
子供たちの成長を見守りたかった。
成人式。結婚式。孫の誕生。
どれもこれも本当に見たいよ。
でも、もう見られない。
子供が手を離れてから過ごす君との暮らし。
もう、その全部を見ることができないし、体験することもできないけれど、天国からは必ず見守る。
君も幸せになってほしい。
もう僕からは解放されて。
僕は君を取り戻し、半年と言われた余命が、少し伸びたみたいだ。
復縁して一年。
人生最高の一年だったよ。
僕も君にもう一度恋をした。大好きだよ。
君にはこれからの人生、きっと長い時間がある。
その時間を大切に使ってほしい。
子供たちのこと、よろしく頼む。
そして、君自身が僕から解放されて、幸せになることを願う。
本当に願う。
だから、そんなチャンスがあったら、迷わずそれをつかみ取ってほしい。
遠慮なんかするな。
それが僕の望みだ。
まだまだ告げたいことはたくさんあるような気がするけれど、最後にかけたい言葉はやはりこれだけだ。
愛している。ありがとう。
読みながら、手紙を握る手がぶるぶる震え続けた。
泣いた。
子供たちを起こさないように、声を押し殺していたけれど、読み進めるうちに我慢できなかった。彼の名を呼びながら、号泣した。
月日は流れる。
子供たちは成長していく。
それでも――
わたしはずっと聡史のことを思い続けている。それは何も変わらない。
春が訪れるたび、桜が咲くたび。
わたしはそこかしこに彼の思い出をあたためる。
幾度も思い出し、泣いたりもする。少しずつ微笑めることもある。
春の彼の命日には、いつもお参りをする。
今年、早咲きの満開の桜の下、花びらがいっぱい墓に散っていた。
彼岸から間もないが、
あらためて掃除をし、
水をあげ、
花を取り替え、
線香に火をつけながら、
わたしは語りかける。
「あなた、亜弥は今度もう6年生だよ。いいお姉ちゃん。聡は小学校に上がるよ。やんちゃよ。誰に似たんだろうね」
「お義母さん、こないだぎっくり腰になってね、大変だったのよ」
「お義父さん、あれでけっこう優しいね。今、家で看病してるの」
「それからね、こないだ家に野良猫が来てね、亜弥がね……」
些細なことから大きなことまで報告しながら。
「桜餅、買ってきたよ。あなたの好きなお店の」
供える。
「ママ!」
亜弥が呼び走ってくる。その後ろから、頑張って聡がついてくる。わたしは立ち上がり、少し腰をかがめて二人の子らを迎える。
ざっ、と風が吹いた。
桜の花びらが、たくさん舞った。なんだか、喜んでいるみたいに。
――――「桜餅 fin」
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